DT日記

家を離れた自宅警備員の日記

ぼくとFuniSayaとクリエイティビティ

そんなものはないし、ない袖は振れない*1 ヾ(#><)ノ゙☆

しかたがないからってわけじゃないけど、ももんが描きました。


「うきうきももんが」/「tadsan」のイラスト [pixiv]


FuniSaya Advent Calendar 2013 - Adventarの12日めでした ヾ(〃><)ノ゙

11日めはid:anoworlカッティングプロッタで羽の様な名刺を創ろう - anoworl's blog、次の13日めは@さんのようです。

じひはない

追伸

なんでそこらでUSAMI Kentaさんとか呼ばれてるのかと思ったら、AdventarにGitHubアカウントでログインしてもGitHubのUsernameとかリンクとか出ないの…

*1:が、仕様がないのでぐだぐだとクリエイティビティの話でもしたうございます。何を以て創作とするかは難しいところではございますが、人は人のつくった創作を糧として有形無形の創作を食んで生きてまゐります。本は心の営養などといふことばもございます。現代社会に於ては既に印刷され製本された書籍といふ形式をとらない創作物がワールドワイドウェブに溢れ、だからこそ私奴は営養を無限に得るべくワールドワイドウェブに心惹かれるのです。私奴が人の創作を食むことを好んで生きてゐるのだと自覚をおぼえたのはいつごろだったでせうか。本が自覚的に手にとって能動的に読むものであるのに対して音楽は人の心に自然に染みわたる創作物です。中高生にもなれば深夜ラジオに耽るものも少なからず居りませうが、私奴もその様な少年だったのでございます。音楽は人の心を無意識に侵す創作物です。その無意識の支配下から逃れるべく、能動的に創作物へと向きあふ様になったのではないでせうか。ワールドワイドウェブに触れたのもその頃でしたが、そこで私奴は二次創作のゲームに触れ、そしてそのゲームは自らにもつくることができるのだと学びます。幸いにして当時(2002年頃…?)には僕の好んでゐた様な様式のゲームを作る環境はあったのです。ところが私奴には集中力がございませんので、プロットを練り上げ、ある程度つくった段階で人に見せることもなく、それ以上にほかのひとがつくりあげた創作を食むことに夢中になってしまふのです。ゲーム、小説、SS、音楽、やる夫スレ。さまざまなコンテンツを食み、自ら生み出すことを望みながらも、胸のうちに生まれたがってゐる発想の種の芽生えを感じながらも手を動かすことができない。ひとに見せられる様なものを作り上げることができない。その様なひとがどの程度居るのかは存じ上げませんが、このようなCGM文化の時代に生まれてきてしまって、食欲を上回る情動を持つことができなかった者の業だと申せませう。私奴はいつの日か創作物を排泄することができるように、10代の時間を日本語に、そしていま20代になった今の時間をプログラミングと、それまで以上に多量の創作を食んでいくことに費やして居ります。世界は創作者に溢れてをります。私奴は次の一年に、またはこれから足を踏み入れることになる20代後半に、もしくは今を基点とした後半生のうちに、自らを創作者として自認できるようになれるのでせうか。とはいへ今の時点で、ぐうの音も出ないほど素晴らしい創作物を目にしたときに、たいへんにつらさを感じつつあります。このような誰の毒にも薬にもならない文章も創作の切れ端であることを信じて、神ではない他人と自分の可能性を信仰しつつ、これからも折れずに自らを貫き、賽の河原のような創作を続けることができるでせうか。恥ぢない人生を送りたいものです。まづは料理といふ創作に情熱を燃やしたいと願ひつつ